芝居に関係する事になり、芝居ってなんだろうなー、こういう事なんじゃないかなー、と考えたみた事をつらつらと。日数が経った時、この考え方にどんな違いが出るかも楽しみではあります。
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前知識、会話はキャッチボール。
何故か。相手との距離や受け取れる球種を探って、ボールを投げたり受け取ったりする様子が似ているからだ(この辺は中崎タツヤの「ひつこいんだから」のキャッチボールの話がとてもよく描かれていて良い。面白い)。
とあるベテランが、若手にこのような事を言った。
君の本読みはここで(胸の手前を指して)止まっている、ここに(胸をたたいて)届かない。なぜなら脚本を正確に読もうとしているだけだから。そうじゃなくて、内から出てくるリアクションとして読んでほしい。相手の台詞を聞き、大小問わずの驚きがあって初めて自分の台詞が出てくる。だからまずは相手の話を聞こう。自分の台詞は知っているけど知らないふり、忘れよう。と。会話的である。紐づければ芝居もキャッチボールだといえるのだけれど、ひとつ自分の中で思い浮かんだのはドライブだ。
芝居はドライブに喩えられるか。
最近のカーナビ事情は置いといて、私が自動車教習所で習ったドライブは、まず地図を広げて目的地をやルートを決め、誰と行くかを考慮した上で、休憩する場所やガソリンスタンド、所要時間の確認をして入念に準備を行うものだった。この流れを芝居に当てはめると、地図は脚本全体、ルートはト書き・台詞、ドライブの参加者は登場人物になる。
ドライバーは役者。彼らは与えられた別々の車で進んで行く。
主人公カー、主要人物カー、端役カーに乗ったドライバーたる役者達は、同じ地図を持って目的地へ向かう。運転の仕方にはドライバー各々に個性や癖があって、車間距離を詰めすぎる者や、安全第一ノロノロ運転をする者、後続車の出遅れ関係なしにどんどん進んでいく者など多種多様。
どんなドライブをするのか?
今回のドライブではずっと80km/hで走ろうと決めている者がいたとする。自分の決めた通りにただ走るだけ。前が止まろうが、後ろが遅れようが80km/h。結果、追突事故、行方不明。これでは目的地にたどり着けない。
リアクションができていれば、どのようにドライブしてもいい。
彼・彼女が80km/hで進むと決めたとしても、まわりの交通状況に合わせて減速加速、時にはハザードランプを点滅させて休憩を促す事ができれば、そのドライブは誰も欠ける事なく目的地にたどりつける。これがリアクションだ。ブレーキがやたら多い車の後ろに80km/hで進む車がつくと、互いに相手を意識したグルーブ感が生まれ、淡々と走るだけのドライブとは絶対に違う面白さが出てくる。
実際のドライブは安全運転が一番だけれども。
芝居をドライブに喩えたとはいえ、実際のドライブと同じく淡々と安全運転をされては観客は面白くない。車両事故や目的地にたどり着かない、などは論外だけれど、少なからずハプニングを期待している。そんなハプニングすれすれを意図的に見せる事ができるのは、個別に意図をもったドライバーがリアクションをしながら進めていく方法が手っ取り早い。
そういうような事を考えた。