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広告は邪魔か?
わたしの好きなWEBサイトが軒並み広告収入減の危機に瀕しているのではないか、と感じている。
全画面のモバイル広告や、記事の途中途中に挟まるアドセンスの量が増えているものの、ユーザーエクスペリエンスが損なわれ、記事を読みに来たユーザーの期待に答えられず、離脱をしている。あるいは、広告ブロック機能を搭載したブラウザによって広告そのものが表示されない。
安価に始められるWEBサイトでも、実際のところ運営コストが掛かり、フリーミアム戦略の収穫期まで維持をし続けるには、資金を集めることが必要だ。
個人の情熱だけで記事を量産し続けられる内は、副業以前のホビー領域として実業の収入でその運営を賄えるが、事業化するには、優れた人材を獲得しその対価であるギャランティーを支払いたい。
じゃあ、そのギャランティーをどうやって捻出するか?である。
広告は良質な記事を無料公開し続けるための最善の選択肢だった
無料で記事を公開し、ユーザーが記事を読み、記事に関連する広告バナーをクリックして、スポンサーサイトへと移動する。
これがWEBサイト運営の収入基盤である。
ユーザー母数が増えれば、一部のファンがそのサイトの優良カスタマーになり、よりプレミア感のあるサービスを得られる会員サービスへ登録をして、サイトの収入基盤を支えてくれる。ここに至るには、継続して記事やコンテンツを公開し続けなければならない。記事の量産には、時間と人と能力が必要だ。
時間は買えないが、人と能力と生産性を高める手段は買うことができる。
可処分時間の奪い合い
前世紀は、時間を持て余していた。
暇つぶしが求められ、新聞、雑誌、小説、漫画、映画、ラジオ、TV、ゲーム。多くの媒体が生み出され、流行を作り出しながら徐々にマス化していった。日本人のほとんどが、ほぼ同じものを知っている最後の時代だったかもしれない。
そして20世紀最後にインターネットが台頭し、それがきっかけとなって、興味関心の多様性が可視化され、みんなと同じものを見ていなくても大丈夫なライフスタイルが形成される。それは一人一台のPCや、携帯電話の小型化、スマートフォンが果たした役割が大きい。
テレビゲームメーカーは、早々にライバルはスマートフォンだと気付いた。可処分時間を奪い合う暇つぶし戦国時代に突入したのだ。
消費から自己表現としての生産の時代
ユーザーは、何を買うかではなく、自分の時間を何に費やすかに関心を強め、誰もがクリエイターの時代になった。
自己表現を通じて、面白い、楽しいと思える体験をするために、インターネットを通じて情報を収集し、何かを作りだし、再びインターネットへ投稿および拡散を行うことで自己承認欲求を満たす価値を見いだしている。
そんな時代において、消費されるのはモノから情報になった。現代においての情報はインターネットとニアリーイコールになっている。
広告は、その情報消費活動を邪魔する存在になっていると思い至る。
スムーズな情報消費を邪魔するから広告は嫌われる
テレビ番組を揶揄する一例に、もっとも視聴者の関心を集めるシーン直前にCMが入ることが挙げられる。
「探検隊が発見した、マヤ文明の驚くべき事実とは!?」
ここでCMが入るというアレだ。
昔、テレビ番組のCMはトイレットタイムだと言われていたこともある。CMになると視聴者はトイレに行くからだ。テレビ番組は高額な出稿料を募ってその資金を元手に制作される広告ありきのコンテンツである。たくさんの人々の関心を集めるコンテンツを制作して、途中で広告を差し込みスポンサーの認知やブランド力の向上に貢献する。それなのに視聴者がトイレに行ってしまったら高額な広告予算が無駄になる。
その形式を柔軟な形でインターネットに取り入れたのが、GoogleやYahooのWEB広告だ。
広告とは、たくさんの人に「売りたい情報」を知らせる媒体だ。強引に買わされる「押し売り」と紙一重なところもある。そこが広告を邪魔扱いする根っこになっている。
情報消費の対価に広告がある
ユーザーは無料で記事=情報を得て、その対価として、媒体母数の一員になることに加え「時間」を匿名性を担保された上で支払っている。
しかし時間は、共通の価値代替物である「お金」が発生していないため、見に来てもらったWEBサイト運営団体のお腹は満たされない。時間を支払ってもらっても、その時間では、家賃や電気水道などのインフラ、食事、家電、医療費の支払いに充てることはできない。
そこで「時間」を「お金」に変換できる、人類史上画期的な発明である「広告」が最も効率良く、容易に事業継続を可能にする手段だったのだ。
その容易さが、ある種の怠慢をもたらしている、という考え方もある。
ユーザーに無料であることををチラつかせ、実際は、承諾なしに秒単位で可処分時間を奪っているのが現実である。
その承諾さえも、今では当たり前にインターネットの常識になっていて、だからこそ、ユーザーはWEB広告の回避手段を次々と獲得していく。いつかのトイレットタイムと同じだ。
ユーザーに受け入れられながら、事業収益を成立させる手段
模索し続けるしかない。
今は、容易な手段である広告を選択し、その次、その先には、情報消費の次に起る体験消費を提供できるサービスの開発を行う。
いつか、サービス提供者とユーザーが、双方がお腹が膨らませられる方法を発明したい。