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こんな経緯
以前いた劇団の同輩である井上昇が通うJOKO演劇学校。その修了公演(といっても彼はまだ1年生)だ。
会場は劇団昴が新拠点と称する劇場「pit昴」で、最寄りは板橋区 東武東上線大山駅。歩いて来る人もいたくらい池袋駅に近い(らしい?)、駅周辺は繁華な印象。そして演劇人がいそうな雰囲気。JOKO演劇学校の修了生は、劇団昴の優先推薦され、研修生となる流れがある模様。
ちなみにJOKOとは、
セネガルのウォロフ語で「—(ハイフン)」を意味
about JOKO | 演劇教育のJOKO | JOKO theatre enterprise
し「繋ぐ」ことを意図している。劇団コピュラのコンセプトと通じるものがあって親近感。
よかったところ
学びの成果を発揮するにふさわしい題材選び。
今公演の戯曲「スティールマグノリアズ」はロバート・ハーリング作。ルイジアナにある美容室を舞台設定とし、映画にもなったらしいがそちらは未見。わたしがこの戯曲を観劇するのは2回目で、1回目は”人生にひと段落つけた大人”が演じる演劇WS公演だった。その時の役者は、人生経験が滲み出る身体を武器にした演技に思えたが、今回のJOKO演劇学校版は、シニアほど人生経験を武器にできない若者が演じており、演技力が試される題材である。
結果としてそれがとても良かった。若い役者の新鮮さによる好印象もあるが、時間を経なければ得られない身体を、演劇を通じて得ようとする”表現としての技術”を、学びの成果として確認することができた。そして、上位団体である劇団昴へと続く道が観客にも伝わるような、際立ってよく抑制された演出であった。
年齢に合わない役を演じることで生じる”現実との乖離”が観客の集中と想像を誘引する。
年若い役者が戯曲の想定する役を演じるにあたって拙さがなかったわけではない。しかし、型作られた演技表現により、そのシーンの意図は十分に伝わり、人間の”不足部分を埋めたがる”性質を利用して、観客に想像を誘引することで、より一層の理解を観客に促していた。これはもう観客参加型といって良いくらいだ。
オリジナルの役柄
JOKO演劇学校では男子が少ないようで、我らの井上昇は黒一点である。「スティールマグノリアズ」は女性しか配役がないのだが、学校側ではオリジナルの役を用意していた。前説と休憩を知らせるラジオDJ、そして息子の二役である。息子のほうはほんの一瞬だったが、特筆したいのは、ラジオDJ。普段の彼を知る者としては、あのハイテンションで客いじりをする彼には目を見張る。演出および講師陣が、そんなラジオDJを井上昇にやらせた狙いを考えると、とても意義のある配役であった。そして、しっかりその役割を果たしたことに拍手を送りたい。
気になったところ
よかったところと矛盾するが、情緒的な表現がもう一声。人情味あるやりとりも、その型を教えられた通り模して、振り付けを完璧にこなすのに精一杯という風にも感じた。
経験を積み、どういった心情の流れに至ったかを実感として演技に転換していくのか、これからの若者にエールを送りたくなる公演であった。
そのほかの情報